那覇まちま~い 「若狭下町物語 波の上チャンプルータウン」(Day 4)
琉球、大和、中国の文化、信仰がチャンプルーになった波の上コース。
とうとう最終回です。
今日は、護国寺と旭が丘公園にある歴史的に重要な記念碑を簡単に紹介。
詳しい説明は、コース参加の時のお楽しみ~♪
冒頭の写真の左側は、ベッテル・ハイム逗留記念碑。
話題の「テンペスト」にも登場するベッテル・ハイム、
布教の為、香港から琉球を訪れた英国人宣教師。
当時、薩摩の支配下の琉球王国では、キリスト教は禁教・・・・
という訳で、ベッテル・ハイムは、この護国寺に8年間も監禁状態だったそうです。
人の為、世の為の使命感で来られながらお気の毒です。
医者でもあったベッテル・ハイムは布教と施術を通して、住民の人共交流されていました。
眼鏡をかけていたので、「ナンミンヌガンチョー(波の上の眼鏡)」と呼ばれて親しまれていたそうですよ。
見たまんまの単純なニックネームですね(笑)。
その右隣が、「琉球の種痘の父」仲地紀仁顕彰碑。
ベッテル・ハイムに西洋の牛種痘を伝授して頂いた
沖縄で初めて西洋医学を学んだ有名なお医者さん。
1837年モリソン号の医師ピーター・パーカーから「種痘術」を
借り受け1日という短い期限で全て写本したという。
天然痘で苦しむ琉球の人々を救おうと志を立て、
それを必ず実行する!成功させる!というこの情熱・・・胸打たれますね。
その仲地紀仁顕彰碑の後ろに隠れて見えるのが、「台湾遭難者慰霊碑」。
宮古の漁師さん達が遭難した先の台湾で地元の山岳民族に虐殺されたという
世に言う「台湾事件」です。
この事件をきっかけに琉球処分が進められ、日本の一県となり沖縄県の誕生へ。
そして、沖縄の人が決して忘れてはならない沖縄戦の記念碑。
沖縄戦で学童疎開船、対馬丸が長崎に向かう途中、悪石島近海で米国潜水艦ボーフィンに
撃墜され沈没し、多くの命が失われました。
疎開先は、長崎、熊本、大分でした。
幼い命で亡くなられた学童、教師、住民、船員の方々のご冥福をお祈りします。
さて、この後、コースは「波の上宮」、「波の上ビーチ」で南国の海風を感じながら
ぶらぶら歩いて、気持ち良~く福州園へと戻ります♪
コースでは、私がブログ記事で取り上げた他にも興味ぶかい場所を色々と案内して下さいます!
5月は、1日、5日、17日、22日、26日、27日にツアー予定です!
詳細は、下記リンクをクリックして下さいね♪
http://naha-machima-i.com/wp/?p=132(那覇まちま~いHP)
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